仏徳山からの宇治の景色に大感激






今回は、宇治上神社のすぐ近くから登り口のある、仏徳山を紹
介してみたいと思います。

この登り口には標識があり、仏徳山展望台まで1.1kmの表示
があり、ここから坂を上っていきます。

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ジグザグに木々に囲まれた、歩きやすい道が続きます。

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先に、ジャージ姿の女の方が、結構早いスピードで上がって
行くのを見て、その人についてこうと思いました。途中、休憩
用に、東屋に木の椅子があったのですが、その人に負けまい
と、見向きもせずに通り過ぎました(笑)。

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そうこうしているうちに、写真の様な道が二股になっている所
を過ぎていきました。

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まだかなって思っていると、そぐそこには展望台が見えてき
ました。ここに来るまでに約15分くらいで、簡単に登れます。

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近くまで進んで行くと「おおっ!」と叫びました。眼下の宇治
川から、宇治の市街が広がっています。子供達も、その景
色にとても喜んでいる様で、もっと前に行ってみることにしま
した。

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確かにすぐそばに、宇治の街並みが臨めて、やはり上から見
ると、結構マンションや商業ビルが建っているのが分かります。


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こんな景色を眺めながら、しばしこの展望台で心地良い風に
あたりながら、心地良い時間を過ごしました。

皆さんも、宇治を訪れた際には、仏徳山に行ってみませんか♪

本能寺の変のあった本当の場所を訪ねるとそこには・・






皆さんは、あの織田信長が炎の中に消えていった場所の本能
寺は、どこにあるか知っていますか?

今ある場所は寺町御池なのですが、そことは全く違う所にあ
ったのです。今回は、その本能寺の変の時に実際にあった場
所を訪ねてきましたので、ここに紹介します。

ランチの帰りに、四条通を堀川手前の油小路まで行って、そ
こを上がっていくと、蛸薬師通の手前の右手に、特に大きな
桜(ソメイヨシノ)が目に付きます。いつも4月になると、見事
な桜の花を咲かせて、そこを通る人を楽しませてくれます。

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このあたりの町名は「元本能寺南町」で、そこにはモダンな
建物が建っています。建物の所には「本能」と書かれていま
す。

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この建物の中には、老人ホーム、堀川高校本能学舎、本能
自治会館が入っており、本能寺がここにあったとは、全く想
像することが出来ない光景が広がっています。

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ここには本能寺跡という石碑があり、そこに書かれた本能寺
の怒涛の歴史を紹介します。

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@応永22年(1415年)に日隆聖人が油小路高辻と五条坊門
 の間に「本応寺」として建立
A破却のため、永享元年(1429年)再建
B永享5年(1433年)に六角大宮に広大な寺地を得て再建。
 この時に「本能寺」と改称
C天文5年(1536年)天文法乱によって焼失
D天文14年(1545年)四条西洞院のこの地に移転。壮大な
 堂宇として再興
E天正10年(1582年)「本能寺の変」によって織田信長ととも
 に炎上
F天正17年(1589年)この地に再興するため、上棟式を迎え
 るが当日、豊臣秀吉により鴨川村(現在の寺町御池)の地に
 移転を命ぜら、参加した人々は苦労が報われず大号泣

このように本能寺は、火災の度に再興され、移転の命令にも
従って、現在まで生き延びてきました。これからも寺町御池
にある本能寺は残ると思いますが、本能寺の変のあったこの
地は、更にいつまでも忘れ去られないように、語り継がれてい
くことを期待します。

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元本能寺近くの油小路通

でも、本能寺の変にちなんでか分かりませんが、この建物
の中に「本能消防分団」があることについては「炎上と消防」
という関係で、何となくうんうんとうなずくことが出来る結び
つきでした(笑)

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「本能」と書かれた消防倉庫

皆さんも一度、本当に本能寺の変のあった地を訪れてみて
はいかがでしょうか♪
きっかけ問わずに「出会い」たい!
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