豊国神社は秀吉公の運気溢れる上昇気流の聖地






この間は、大坂冬の陣、夏の陣の元になった大鐘のある
方広寺に行ってきましたが、今回はその隣りにある、大豊
神社について書いてみたいと思います。

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豊臣秀吉が63才で亡くなった際に、埋葬された阿弥陀
ヶ峯の麓に廟社が造営されたのですが、豊臣氏の滅亡
後にその廟社は、家康によって廃祀されました。

その後、明治になってから、旧方広寺大仏殿跡にあたる
この地に、社殿が再建されたということのです。

正面からこの神社を眺めてみると、普通の神社では見ら
れないような、とても豪華絢爛な唐門があるのです。これ
は伏見城の遺構と伝えられ、二条城から南禅寺の金地
院を経て、こちらに移築され、本当によく生き残ったと思
われる門なのです。西本願寺、大徳寺の唐門とともに、
国宝三唐門と呼ばれています。

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この唐門の下で、本殿に向かって手を合わせると、何か
栄枯盛衰の夢物語が浮かんできそうな、そんな雰囲気を
漂わせている感じがしました。

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本殿

でも、衰退はしたかもしれないですが、豊臣秀吉という名
前は永久に残るので、一般庶民からすれば、名前の残
るのは、せいぜい同窓会名簿くらい(笑)と思うと、それ
こそが「夢のまた夢」のという心境でしょうか(秀吉の辞世
の句にかけてみたのですが、分かりましたか?えっ、
分からない!失礼しました(笑))

その唐門のところには、たくさんのひょうたん形の絵馬
がかけてあり、まさに「千成り瓢箪」の逸話にあやかろ
うという思いで、立身出世を願う人々の文字で埋め尽く
されています。

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また、変わったところでは、奥方のおねとの出逢いを形
にした縁結び絵馬もあります。これは、ひょうたん形の
絵馬の2つを赤いひもで結んだもので、こちらもご利益
がありそうな絵馬なのです。

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更に、社務所の前には、運気上昇みくじが300円で引
けるので、こちらも人気がありそうですね。

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ということで、今回は豊国神社をご紹介しましたが、こ
の境内でのんびり過ごして、秀吉公のように大きな心持
ちになって、運気をもらうのも良いものだと思いました♪

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豊国神社

京都市東山区大和大路通正面茶屋町
京阪電車「七条」駅下車 徒歩約10分
Tel:075-561-3802
境内自由

方広寺は曰く付きの梵鐘がある豊臣家の夢の跡






前回の河井寛次郎記念館に行った帰りに、近くに
方広寺があるのを思い出して、方向が同じなので
そこへ行くことにしました。(シャレです(笑))

場所は、東大路通の馬町の交差点を一筋下ったと
ころを、西に入っていくと、駐車場の向こうにそのお
寺はあります。

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この方広寺は、あの栄華を極めた天下人の豊臣秀
吉が、天正14年(1586年)に、東大寺を模して建立
されたところです。

この大仏は、高さが18mもあったそうですが、度重
なる火災や地震によって、今はその姿はなく、本堂、
大黒天堂、それに大鐘楼が残るのみとなっています。

本堂の前の大鐘楼は、特に有名な曰く付きのもの
です。

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慶長19年(1614年)に、秀頼と淀君が再建した、大仏
落慶法要で、梵鐘の銘文の中の「国家安康」が、家康
の名を分断し「君臣豊楽」が、豊臣の繁栄を願う謀反
が感じられると、家康に言い掛かりをつけられて、ここ
から大坂夏の陣、冬の陣によって、最終的に豊臣家が
滅ぶことになるのです。

実際に間近で見ると、普通の鐘よりも何倍も大きくて、
貫禄のある梵鐘なのです。

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また、それに刻まれた2ヶ所の銘文も、白ペンキのよ
うなもので囲まれていて、文字を読むことが出来ます。
この文字から、あの戦いが始まったと思うと、何かぞ
っとする様な思いに駆られます。

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また、梵鐘の天井には、天女が描かれており、創建
当時はとても素晴らしい色合いの、まるで絵巻の様
なものではなかったのかと想像します。

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最後に、この梵鐘の周りに、入れないように囲まれ
ていて、このお寺の女性の住職さんに100円を払
って説明を頼めば、中に入って色々な話を聞けるよ
うですので、皆さんも一度、方広寺を訪れてみては
いかがでしょうか♪
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